日本では「自分で決める」は、自分だけで決めることではない

佐々木淳
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一時話題になった「集中治療を譲る意思カード」。

発案者本人も持っている、としたうえで「『高齢者が切り捨てられる』といった批判があることは承知している」「いざという時にどうしてほしいのか。先送りせず、考えるきっかけにしてほしい」と訴えているとのことですが、僕はこれはちょっと違うように思います。

確かに、いざという時にどうしてほしいのか、考えるきっかけにはなるでしょう。でも、中には考えたくない人もいるし、考えても結論がでない人もいると思います。僕はそれはそれでよいのだと思うし、そういうスタンスも尊重されるべきではないかと思っています。

何かあったときのために「決めておくべき」という議論が、特に新型コロナで医療崩壊が現実味を帯びるようになってきてから頻繁に行われるようになっています。このカードもその延長線上で生まれたものだと思います。

だけど、「決めておく」ことは目的ではなく、人生を納得できるものにするための手段。なんだか目的が違う、あるいは手段が目的化しているようにも感じます。

記事中で発案者ご本人も言及されている通り、これはあくまで医療現場の負担を減らそうというもの。
そして、その前提となっているのは、高齢者は積極的治療を希望しないものだ、という新しい社会通念を明文化したい、というメッセージとも受け取れます。

自分の人生の最後は自分で決める。
大賛成です。
しかし、日本における「自分で決める」とは、実は「空気を読む・期待に応える」であることは理解しておくべきです。

同調圧力に屈しない強さを持った人が自分で決める、というのはすがすがしいし美しいと僕も思います。
しかし、実際には多くの人は最後まで悩みながら、周囲との関りの中で、それでも自然と着地点を決めているのです。そして、そのプロセスこそがACP=人生会議なのではないでしょうか

北欧の国々の高齢者の終末期ケアに倣えという方、本当にたくさんいらっしゃいます。しかし、もともと自己決定の文化のある国と、集団的合意形成の国と、そのあたりの違いは考えてみるべきだと思います。

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医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長
1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。

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