佐々木淳

そこに必要なのは「医療」だったのか

2018年4月19日

腸閉塞と嘔吐による誤嚥性肺炎で入院。
腸閉塞は改善したものの、肺炎が点滴の治療に反応せず、摂食障害も進んで回復の見通しが立たず、「どうせ亡くなるなら最期は奥さんと一緒に過ごしたい」と、お看取りを前提に施設に戻ってきた101歳の患者さん。

施設では酸素も点滴もしない、という文字通り決死の覚悟での退院でしたが、奥さんの笑顔で生きる力を取り戻したのか、退院当日から本人の意思でゼリー食にチャレンジ。
その後、ゼリーは不味くて嫌だと、いつの間にか常食に。内服抗菌薬で炎症反応も酸素飽和度も改善し、つい先日、102歳の誕生日を無事に迎えることができました。

今日は、硬い煎餅をぽりぽりと食べながら、お茶を飲んで一言。

「もっと熱いのがいい。」

ふーふーいいながらお茶をすする患者さんを見ながら、施設の看護師さんと、看取りケアを一旦卒業することを決めました。

高齢者にとって、生活空間や環境の大切さ、支えになる人の存在の大切さ、そして食べることの大切さを改めて感じました。
そして場合によっては医療の充実よりも、ケアの充実がより良いアウトカムをもたらすことがあるのだということも。

僕も今日は久しぶりに定食を。
久しぶりの玄米を噛み締めつつ、一人で彼の卒業をお祝いしました。

たまにはお米も悪くないですね。

※この投稿は、ご本人、ご家族からご承諾をいただいております。


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