健康格差と予防

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  • 学歴や収入によって、要介護のリスクが違う。
  • 出生時の体重で高齢期の糖尿病のリスクが5倍違う。
  • 社会との多様なつながりがあると、認知症発症のリスクが半減。役割を持って社会参加すると、うつ発症のリスクが7分の1に。

 

「健康格差への処方せん」

 

ご講演中の近藤克則先生(千葉大学予防医学センター)

 

診療終了後、近藤克則先生(千葉大学予防医学センター)のお話を聞きに、中村秀一先生が主宰する月例社会保障研究会へ。
健康格差という言葉に僕が最初に出会ったのはイチローカワチ先生の本。そこで、ソーシャルキャピタルや社会的処方という概念を知った。これは、在宅医療やケアが目指すICFという価値観や自立支援とそのまま重複する概念であると感じた。
今回の近藤先生の講演は、これを「予防」という切り口から捉えるもので、今後の地域との関わりを考える上でとても勉強になった。
以下、備忘録+個人的意見。

■日本における予防の重要性

かつて1000万人未満だった日本の人口はゆっくりと増加、明治維新後(3330万人)、急激な人口増加局目に入り2004年12月にピーク(12784万人・高齢化率20%)。その後、毎年50万人ずつ減っていくことになる。その問題の一つの表れが、介護人材の不足。2025年、253万人の需要見込みに対し、現状の供給見込みは215万人。38万人の受給ギャップが存在する。介護職を増やすために学校は増やしたが、介護職の社会的評価・待遇の悪さは改善されておらず、多くは定員割れを起こしている。供給(介護職)を増やすことができないのであれば、需要(要介護者)を減らすしかない。
予防の政策はいくつも打ってきた。しかし、いずれの政策も期待したほどの効果は出ていない。2000年にスタートした健康日本21は、初めて数値目標を掲げたが、59目標のうち達成できたのは10項目に留まり、逆に悪化9項目が悪化した。例えば「1日の平均歩数」。10年かけて1日歩数を1000歩増やそうとキャンペーンを張ったが、逆に1000歩減るという結果に。歩くことがいいことだ、というのは誰でも知っているはず。つまり「知識だけでは人は動かない」ということがわかった。

■予防的介入はうまくいかない。

これは実は世界共通の現象。例えば、16万人に対する冠動脈疾患の一次予防のための複合危険因子介入。介入群・非介入群で全く差がなかった。少なくとも一般集団に対しては、予防的介入の有用性に限界があることが示唆された。予防は費用対効果が高いと考えられていたが、その有効性にも疑問が投げかけられるようになった。日本でも各地の自治体で「介護予防教室」をやっている。しかしいずれも閑古鳥。高齢者人口の5% への介入を目標としたが、実際には政令指定都市で0.2%。全体で0.14%。9年間頑張って0.8%にしかリーチできなかった。
なぜうまくいかないのか。全国53自治体、非要介護高齢者30万人を対象に調査を実施(回収率69.5%)、その結果、さまざまな健康格差の存在と、これまでの介入がうまくいかなかった理由が明らかになった。

■健康格差の4つのファクター

【1】経済格差・教育格差による影響

収入や学歴(教育年数)によって要介護のリスクが違う(高収入で13年以上の教育を受けた人と比較すると、低所得で9年以下の教育しか受けていない人はリスクが約2倍)。このようなハイリスクの人たちほど健診を受診せず(男性の健診受診率は、教育期間6年未満と13年以上で2倍以上の差)、介護予防教室などのアプローチが届かず、早期発見・早期治療などの介入も難しい。

【2】地域格差① 都市環境

生活機能(IADL)が低下している人の割合を調べると、政令指定都市で低く、農村や郊外で高い(最低7.9%~最大23.2%で3倍の格差)。
都市では歩く機会が多く(自家用車よりも公共交通手段を使う頻度が高い)、また都市部の歩行はDual Task(人が多いのでぶつからないように、あるいは標識や看板を見ながら歩く)。頭を使いながら動く。これは脳機能を維持するためにも有用であることがわかっている。
生活環境も重要であることがわかっている。たとえば、自宅から1キロ圏内に公園があると、運動頻度が2割多くなる。可住地面積あたりの公園面積が広いと、スポーツ組織の参加者の割合が多く、運動機能低下者の割合が低い。つまり、都市計画こそ、健康政策である、ということになるか。

【3】地域格差② 住民同士のつながり

社会とのつながりが健康に及ぼす影響は枚挙に暇がない。例えば、スポーツ組織に参加すると、IADLが低下しにくい。認知症になりにくい。転倒しにくい(転倒率だけでも、4倍の地域格差(7.4-31.1%)が存在する)。趣味の会に週1回以上参加していると、うつリスクが少なくなる。ボランティア組織の参加率が高いと、認知症リスクの割合が少なくなる(ここにも25%~60%と大きな地域格差)。参加組織の種類が多いほど、要介護認定の発生リスクは下がり、認知症発症リスクが半減する。独居の孤食は、誰かと一緒に食事をする人よりも2.7倍、抑うつ傾向に至りやすい。孤食は死亡のリスクも高い。
また、運動頻度が高いほど、要介護のリスクが低いというのは以前から知られているが、一人で運動するよりも、グループで運動したほうが効果は高い。また、笑わない人は健康観が悪い。毎日笑う人に比べほとんど笑わない人は、男性1.54倍、女性1.78倍、健康リスクが高くなる。役割を持つことも重要であることがわかっている。役割を持って社会参加している男性は、うつ発症のリスクが7分の1。笑うことも、役割を持つことも、誰かとつながることで初めて発生する。
つながりと、その集団の中で生まれる役割が、心身の健康に大きな影響を及ぼすことは間違いない。つまり、地域に住民がつながれる場、役割を持てる場をいかに作っていけるか、ということのほうが、無理やり運動させるよりも大切かもしれない。

【4】出生時の影響

成人期の生活習慣は、その人の社会階層や教育の影響を受ける。その影響は、実は母親の胎内にいるときから始まっている。例えば出生時体重が大きいと、64歳までに糖尿病を発症するリスクはなんと5倍になる(英国のデータ)。母親の栄養状態の高齢期のインスリン感受性に影響を及ぼすことがわかっており、こういう話を聞くと「糖尿病が自己責任」だなんていうのは、ちょっと残酷な気がする。
高齢者のうつ病の発症には、50年以上前の小児期の社会経済状況が影響することもわかっている。この影響の度合いは、現時点(高齢期)の所得の影響の大きさとほぼ同等という。また、小児期の経済状況が悪いと、なんと高齢期の野菜・果物の摂取頻度が少なくなる。しかし、戦後の学校給食導入群(60代)からは上記の影響は消失しており、給食の長期にわたる教育的側面も明らかになっている。こういう視点でこども食堂を捉えると、その役割と責任はとても大きいかもしれない。

■病気には上流と下流がある。

下流で流されてきた人(病気の人)の治療をしていても、きりがない。なぜ病気が起こるのか、それを突き止めることで、川に落ちないようにするべきではないか、という動きが海外で始まった。2009年、WHO総会決議「社会的決定要因を明らかにする」 これからは環境だ!と宣言された。「ゼロ次予防」(=原因となる社会経済的・環境的・行動的条件の発生を防ぐための対策を取る)という考え方も生まれる。より広い視野で予防が捉えられるようになった。
健康日本21にも「健康格差の縮小」が加わった。社会環境を改善しよう。そこで暮らす人の行動変容を期待しよう。社会参加の機会を増やし、健康のための資源へのアクセスの改善と公平性の確保しよう。そのような取り組みが始まっている。

■2040年に向けた予防の方向=社会環境の重視。

生活習慣だから自己責任だ、ではない。社会環境・地域環境の影響を受けているのだから、そちらを配慮しよう。暮らしているだけで健康になれるような、そういう環境を創ろう。例えば、塩分摂取量が減っている。2001年から2015年で平均12.1gから10gに減っている。これは、管理栄養士の栄養指導に効果があったのではない。食品メーカーの作る加工食品の塩分含有量が減ったからだ。トマトジュースも加塩から減塩、そして無塩へと変化してきた。私たちが手にする食品も社会環境の1つ。このような事例や取り組みを増やしていくべきだろう。

■個人的所感

近藤先生の話は、とにかくデータに基づき、論理的で、とにかく面白かった。あっという間の2時間だった。
その間、在宅医療という自分のフィールド、そして健康格差の本態は何なんだろう、ということをずっと考え続けていた。

低所得・低教育、人とのつながりの希薄さ、笑わないこと、役割を持てないこと。
要介護者と健常者でもアプローチは全く異なるだと思うが、健康のリスクとされるこれらの要因の共通点は、自己肯定感の低さではないだろうか。そんなことを思った。
自己肯定感が低いから、自分を大切にできないのではないだろうか。自分を卑下するからこそ、人と自信をもって交われず、役割を担えず、また心から笑い合うことができないのではないだろうか。
地域サロンを作って、形だけのコミュニティを形成しても、人生を豊かにしてくれるパートナーはできない。誰もが自信を持ち、ポジティブに生きることができることができる環境が必要なのだと思うし、それは、それぞれの個を尊重し合い、信頼し合える人間関係から生まれてくるものだと思う。専門職以前に、一人の人間として、人と向き合う姿勢を改めて省みるきっかけとなった。

また、つながりの大切さが強調される一方で、現在の在宅医療・介護の領域は、実は隔離と孤立化が進んでいる。
自宅で療養されている人は、さまざまなサービスが外部から投入される。食事は配食かヘルパーが準備してくれるが、食べるのは一人。外出機会があるとしてもデイサービスや病院との往復で、社会とのつながりとは言い難い。隔週の医師の訪問を心待ちにする患者の多くは、医療的ニーズというよりも、僕らが持ちこむ「娑婆の空気」に飢えているように感じる。
一人暮らしはかわいそう、と入居する施設は、もとの居住地とは離れており、既存のつながりの大部分が分断される。多くの施設では「支える側」と「支えられる側」に分類され、支えられる側は能力を放棄し「ケアされる人」という役割を演じ続けなければならない。また、そこで新たなつながりが形成されることは少ない。
このような状況で、自己肯定感を取り戻し、自己肯定感をもって生き続けるためには、やはり僕らの関わりは非常に重要になってくる。
加工食品の塩分含有量を減らす、というマクロな取り組みがマスとして大きな成果をあげうる一方で、本当に人を幸せにするためには、やはりミクロな視点や関わりがとても重要だと感じた。
在宅医療の「生活を支える」という言葉の意味が少し違ってきたような気がする。


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医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長
1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。

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