「自立支援介護」の最前線を見た

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昨日から2日間、ポラリスの森先生とご一緒させていただき、理解が不十分であった「自立支援介護」のコンセプトと理論を学んだ。
結論から言えば、「自立支援介護」をもっと活用できると強く思った。
しかし「自立支援介護」に対しては、一定の懸念が存在している。ここをきちんと対話の中で解消していくことも重要であるように感じた。

 

まずは「自立支援介護」について学んだ点。

「自立支援介護」のターゲットは廃用症候群

高齢者(障害者)の身体機能低下を〔病気〕+〔廃用〕によるものであると捉える。〔病気〕は改善が難しくても、〔廃用〕に対してはアプローチできるというのが基本的な考え方。病気をよくしよう、とか、老衰に抗おうとか、そういうものではない。廃用の主たる要因は、低栄養・脱水・低活動。従って食事・水分・活動量のアップが重要になる。介入により、劇的に改善するケースもあるし、当然、そうでないケースも経験する。しかし、全く改善しないということはない。つまり、高齢者の身体機能低下には少なくとも一定の割合で廃用の関与はあり、その部分については改善が可能であると理解できる。

 

「自立支援介護」のリハビリテーションは運動学習理論に基づく

これは筋トレ(筋肉量を増やすこと)ではなく、最適な動き方を身に着ける(つまり脳内の神経シナプスの新規結合を増やすこと)を目的する。対象者はマシンを使い、ゆっくりとしたリズミカルな運動を繰り返すことで、過度の運動負荷をかけることなく運動機能を回復させていく。さらにポラリスのデイサービスでは「免荷装置」を使うことで、通常のリハビリであれば立位がやっと、というレベルの人でも、少ない負荷で、しかも転倒のリスクのない状態でトレッドミルでの歩行訓練が開始できる。ここで運動学習をしながら、徐々に屋外歩行へとトレーニングの場を広げていく。

 

本人の意欲とリハビリの目的が重要

「自立支援介護」を開始するにあたり、本人が目標を明確に設定できることが重要になる。自分でトイレに行きたい、夫と一緒にもう一度買い物に行きたい、墓参りに行きたい、娘とバージンロードを歩きたい・・・目標に応じた計画を立て、定期的に進捗を見直しながら進めていく。そして多くが目標を達成していく。
要介護高齢者の多くは「もうなにもしなくていい」というが、それは改善の可能性がないという前提での発言ではないか。もし、改善するのなら「あきらめたくない」と答える人はもっといるのではないか? 「回復の可能性がない」という専門職の先入観を押し付けることで、その人の回復の可能性を奪ってはいないか?

 

水分摂取も食事も強要しない。減薬も自然に進む

ポラリスでは、水分を少しずつ取りながら、リハビリに取り組む。6時間のリハビリプログラムの対象者には昼食を提供するが、3時間のリハビリプログラムの対象者は自宅で食事をしており、無理やり1500kcal食べさせているわけではない。しかし、活動量が増えることで自ずと食欲は出てきて、食事量も水分量も増えていく。入眠導入剤や下剤への依存も自然と少なくなっていく。水分が十分とれるようになると、脱水によるせん妄や抑うつは減少する。低栄養・脱水・低活動という身体面へのアプローチは、認知症やうつ、アルコール依存などの精神面にもよい影響を及ぼす。

 

いずれも論理的かつ合理的な考え方であり、豊富な実践経験とエビデンスも蓄積されつつある。では、この「自立支援介護」がなぜ議論を呼ぶのか。課題を整理してみた。

「自立支援介護」と「自立支援」は定義が異なるのに、混同されやすい(あるいは意図的に混同させようとしているのではないかという警戒感がある)

介護保険法の精神である「自立支援」は、身体機能の回復だけを意味するものではない。あくまでICF的健康観に基づくもので、心身の機能や構造だけでなく、生活や参加という「その人の生きることの全体」を対象とした生活モデルの考え方である。しかし「自立支援介護」は、身体機能の回復にフォーカスしており、これは医学モデルの考え方である。自立支援介護こそが日式介護だという報道なども大々的になされ、国民が本来の「介護」の意味を誤解するのではないか。

「自立支援介護」の概念が広がることで、要介護度の改善を介護のアウトカムにされるのは不適切である。

介護は本来、要介護状態になっても(残存機能を活用しながら)本人が望む生活が継続できるよう支援することが主たる目的である。しかし、要介護度の改善に対するインセンティブが始まり、介護の世界に医学モデルが持ち込まれた。この方向で進むと、回復の可能性の低い人たちに対して、ケアの受け手がいなくなるのではないか。あるいは、回復の可能性の低い人たちが、無目的な機能回復訓練に駆り立てられることにならないか。いずれも、介護が必要な人たちのQOLを下げるのではないか。

高齢者に対するパワーリハビリはやりすぎである。1日に1500mlの水分、1500kcalの食事など一律に設定すべきでない。

実は「自立支援介護」における「パワーリハビリ」とはマシンをつかった運動学習を目的とした低負荷・高効率トレーニングのことで、筋肥大を目的とした従来の筋トレではない、というのは前述の通り。また食事・水分についても目安はあるが、これは病状に応じて個別に設定されるべき。自己流の「竹内理論」を実践している高齢者施設もあり、現状、問題のあるケースが存在しているのは事実。

社会保障費の節約になるのか?

現状では、これは明確なエビデンスがないのでわからない。ただ、もし生物学的に「寿命」というものがそれぞれ決まっていると仮定すれば、寿命の近くまでより元気な状態で過ごせたほうが、医療介護費は少なくて済む、ということにはなる。また、仮に医療介護費がかかったとしても、よりよい状態でより長く過ごせるのであれば、それは妥当な支出であろう。個人的には、もし社会保障費の節約が目的なら、もっと子供に投資すべきだと思う。

 

ポラリスの森先生は、純粋に「世の中を良くしたい」というオーラを強く感じる人だった。
急性期病院や慢性期リハビリがカバーできていない潜在的なニーズに対し、圧倒的に不足している在宅リハビリ専門職に依存しない新しい地域リハのカタチを創られてきたのだ。自らの経験例を積み重ね、エビデンスの構築に努めるとともに、大学や病院との共同研究を通じて心不全患者に対するリハビリのあり方などチャレンジングなテーマにも取り組んでいる。また「自立支援介護」の品質管理のために全国のデイサービスの事業所を徐々に直営に切り替えながら、専門職の教育研修のシステムも構築しつつある。

僕は、自立支援という言葉がとても大切なものだと思っている。
介護はICFであるべきだし、そのアウトカムはADLではなくQOLであるべきだ。
しかし、森先生の実践されてきた高齢者の慢性期リハビリとしての「自立支援介護」は、医療者として真摯に受け止めるべき成果を上げているし、適切に運用されれば、よりよい生活を取り戻すことができる人も増えるはずだ。

一方で、誤解を招きやすいネーミングや、介護保険法における医学モデルのあり方など、課題も存在する。
もう一度、じっくりと関係者で議論する場を設定できたらと思う。


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医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長
1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。

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