心の声に従い、真備へ

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倉敷市真備町の厳しい状況に対し、現地からのSOSを確認したのが7月13日の22時。
このままでは熱中症で死者が出る、とにかく2800本の経口補水液の緊急手配を、というハードルの高いオーダーだった。帰宅後、大手の数社に緊急物資の支援をメールで依頼した。

メールを書きながら、自分が行ってもやれることはない、と自分に言い聞かせていた。しかし、救援を求めるメッセージの行間に、そしてタイムラインの写真に逆らえないものを感じた。奇しくも明後日、岡山で講演の予定もあり、今回は心の声に素直に従うことにした。

品川6:00発ののぞみの始発で岡山まで、そこから伯備線に乗り換え清音駅へ。ボランティアらしき完全装備の乗客が多いことを除けば、車窓の風景は平和そのものだった。しかし、プラットフォームに降り立つと、文字通り茹だるような暑さ。あっという間に汗だくになる。駅の自動販売機で普段は飲まない500mlのスポーツ飲料を2本購入しバッグに入れる。

川を流れる水は茶色いが、水はほぼ完全に退いている。目的地の薗小学校までは約5キロの道のり。駅前から伸びる渋滞の車列は、僕の歩速よりも遅い。時々、瓦礫を満載した自衛隊の車両が埃を巻き上げながら対向してくる。駅前の通りは営業を継続している事業所は1つもない。沿道のセブンイレブンもA-COOPも店内は空洞、駐車場には廃棄商品や什器が山積みになっている。この地域の中核的医療機関である「まび記念病院」は入り口がベニヤで閉鎖され、玄関前では大阪市水道局が市民に対する給水活動を行っていた。

水田の中に取り残された乗用車、なぎ倒された電柱や電波塔、そしてそれとなく街を覆うヘドロのような臭い。住宅は1階部分が完全に浸水、住民たちは泥まみれで自宅の整理に追われていた。道路には汚損した建具や畳、電化製品などが山積みに。しかし、用水路を流れる水は透き通っており、小さな魚やオタマジャクシが何事もなかったかのように元気に泳いでいる。街全体が濁流に覆われた時、この魚たちはどこかに身を潜めていたのだろうか。

1時間ほど歩くと、キャンナスが活動拠点を置く薗小学校が見えてきた。ここには一時600人が身を寄せていたという。現在は体育館と校舎で180人が避難生活をしている。灼熱の外気とは一転、室内は冷房が効いていて快適。水道も開通しており、地域の給水拠点として機能している。体育館にはインスタントラーメンや飲料類が山積みにされ、遠慮をする必要はなさそう。その他の生活必需品もストックされ、避難者以外の地域住民にも提供されている。避難所の運営にあたるのは校長はじめ学校の教員に加え、倉敷市の職員たち。校舎にはJMATの活動拠点も置かれ、外来もあるし、処方もできる。救急車も1台待機している。東日本大震災の時の被災地とは打って変わって「洗練された」印象を受けた。

しかし小学校の外側では、断水が続いている。電気は通っているが、ブレーカーが破損し、実際には電気が使えない家が多い。そして浸水により一階部分には泥や瓦礫がたまっている。この衛生状態と最高気温36度という酷暑、果たして地域住民は無事なのか。
キャンナスのメンバーが揃うのを待って、大塚製薬工場が届けてくれた経口補水液(OS-1)500mlを680本、2台の車に積み込み、被災地の住宅を一軒ずつ回ってみた。そして、その厳しい状況に改めて驚かされた。

多くの家では、住民たちは水の退いた一階部分の片づけをしていた。高温多湿の環境の中での肉体労働、シャワーを浴びたように全身汗でぐしょぬれになっている人も少なくない。話を聞くと、朝の9時ごろから日が暮れるまで家の片づけをして、夜は避難所に泊まっているという人が多い。みな、お茶やお水のペットボトルは持っているが、塩分の補給が必要と説明、OS-1を飲んでもらった。これを美味しいと感じるのは脱水状態の証拠。500mlでは到底足りず、1つの家に24本入りの1箱を置いていくことに。不足するようなら、避難所に配備があることを伝えた。僕自身も朝から4リットル近い水分を摂取しているのに、日中はトイレに一度も行く必要がなかった。恐るべき発汗量だ。このような環境で、熱中症が出ないほうが不思議なくらいだ。

日本調剤様(左)、大塚製薬工場様(右)、本当にありがとうございました

16時に避難所に戻ると、日本調剤から50ケース(1200本)のOS-1が届いていた。三津原専務に相談させていただいたのが昨日の深夜、わずか半日でこれだけの物量を現地に配送できる機動力は本当に素晴らしい。オレンジホームケアクリニックからも、つばさクリニックからも、株式会社メディカルケアからも次々と届き、大塚製薬工場が提供してくれた分も含め、5000本近いOS-1を確保することができた。連休明けまでの当座の熱中症対策はなんとかなるだろう。関係各位には心からの感謝を。そして、明日もキャンナスのパワフルなメンバーたちが、地域の家を巡回する予定になっている。彼らのプロフェッショナリズムには本当に頭が下がる。熊本地震でも二次災害の死亡者が最も多かったのは自宅だ。これまでの経験をしっかりと活かしたい。

今回、僕が訪問したのは真備町の主要7避難所の1つ。他にも20近い非公式避難所があるという。1日の滞在では真備全体の状況を把握することはできていない。そして、広島県や愛媛県はじめ他県にも被災地は分散している。道路が寸断され、ここよりも物資の確保が厳しい地域もあるはず。
大災害を乗り越えながら、支援の流れは少しずつスマートになってきている。しかし、避難所のリアルタイムの情報共有はなかなか進んでいないような気もする。継続的かつ効果的な支援につないでいくために、被災地情報共有ポータルなどがあればよいのだが。

帰りは車で倉敷駅まで送ってもらう。
倉敷の中心市街には目立った被害はなく、そこには日常が、豊かな物質社会が広がっていた。
被災地と直線距離でわずか5キロ。とても不思議な感じがした。


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医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長
1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。

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