【印度徇行記2019①】ムンバイで見つめたもの、見つけたもの 

カテゴリー 佐々木淳, スペシャル0件のコメント

ムンバイで在宅ケアの現場に同行した。

94歳の女性は四年前に脳梗塞、左側に不全麻痺を残して在宅療養中。
5人の子供たちはみな海外で活躍中、ここでは81歳の義理の妹さんとともに二人で生活をしている。
主介護者は義理の妹さんということになるが、彼女も脊椎変形が目立ち、一人での外出はおぼつかない。そんな親世代のために海外に暮らす子供たちは24時間の見守り介護と看護師による定期的な健康チェック、そして週4回の訪問リハビリテーションをオーダーしている。日常生活に必要な車椅子や歩行器はEU製。レンタルしている。具合が悪い時はかかりつけの病院に連絡、必要があれば受診する。

バイタルは1時間おきに看護師によりチェックされている。
バイタルは1時間おきに看護師によりチェックされている。

72歳の男性は半年前に頭部外傷により昏睡状態に。気管切開、喀痰吸引、在宅酸素、経管栄養、尿道留置カテーテルとともにICUから自宅に帰ってきた。息子さん一家が同居しているが、共働きであることもあり、ケアは看護師が24時間アテンドし、身体ケアの全てを担っている。
主治医は入院していた病院に。訪問診療+必要時は往診してくれる。また看護師に具体的な指示も出す。週2回の訪問リハビリテーションも利用している。介護用ベッドは3モーター。在宅酸素に必要な酸素濃縮器や吸引機などはレンタル。経管栄養剤は食品として購入している。

まず、ムンバイでこのような在宅ケアが可能になっていることに正直驚かされた。
全て自費サービス。家族の家事などはしないが、本人のニーズに対し、介護と看護・リハビリの連携で総合的かつ包括的に支援する。そして医療的ニーズには医師の指示に基づいて対応する。

酸素濃縮器、吸引機、ネブライザ。全てレンタル。
酸素濃縮器、吸引機、ネブライザ。全てレンタル。

サービスを提供しているのはインド工科大学出身者たちによるスタートアップ。

インドでは労働人口が毎年1,000万人ずつ増加し、女性や若者は仕事を求めている。特に都市部においては失業率は悪化しつつあるとされる。一方で、経済成長により中間層が増加し、共働きや核家族化などの変化も出てきている。海外勤務者も少なくない。

彼らは「介護の社会化」を、この2つのニーズのマッチングにより解決しようとしていた。そして、被介護者と介護提供者の双方が納得できる仕組みを作りつつあった。

医療やケアの専門職の方々は、専門的な教育や研修はどうしているのか?雇用体系は?安全管理や品質管理は?果たして富裕層以外に自費サービスが成り立つのか?いろんな疑問を持つと思う。今回のムンバイ訪問の目的の1つは、それらの疑問を解消することが目的だった。そして疑問は解消できた。

インドの社会状況としては、平均寿命が60歳代、高齢化率が6%未満と1970年以前の日本に近い。彼らの提供している24時間介護や看護も、かつて日本に多く存在し、実質的にケアを担ってきた「看護婦家政婦紹介所」を思い出させる。

インドでは医療保険は未整備。
政府の病院は

理学療法士による訪問リハビリテーション。
理学療法士による訪問リハビリテーション。

貧困者向けに無料の医療を提供しているが、オンデマンドできちんとした医療を受けるためには私立病院で自費治療を受けるしかない。自費医療を受けるゆとりのある中間層以上にとっては、単にケアをする人手がない、という以外に、入院コストは非常に高く(ICUだと一日5万円以上)早期退院したい、なるべく入院せずに在宅生活を継続したい、という経済的ニーズも存在する。もちろんインドにもメイドを雇うという選択肢はあるが、ケアや医療となるとメイドでは対応できない。
彼らの仕事が急成長している理由が理解できる。

一方で貧困層の人々はどうしているのか。

医療は待ち時間は長いが、政府病院に行けば受けることはできる。僕らが見学させていただいたJJ Hospitalには3.0テスラのMRIも配置され、結核やHIVなどの感染症にも専門的に対応できる体制が整っていた。

介護は基本的には家族による。外で提供的な仕事をしていないファミリーメンバーが複数いることが多く人手はある。そもそもこれまで高齢者が多くはなかったし、独居高齢者は高齢者住宅(oldies home)に入居できる。そして、ここで共同生活をしながら、最後まで暮らし続けることができる。

JJ Hospitalに関連した高齢者住宅も見学させていただいた。そこでは、それぞれがやるべきことをやりながら、みんな生き生きと生活をしていた。
入り口にドアなどはないが、もちろん誰も「脱出」しようとはしない。その必要もない。彼らはそこで守られている感覚を持っていると感じた。これらの施設はチャリティで運営されていて、入居者に費用はかからない。食事も衣服も全て寄付による。

貧困層には医療や介護以前の問題がたくさん存在している。ご存知の通りインドはもともとカーストがあり、法律ではカーストに基づく差別は禁止されているが、文化的にまだまだ色濃く残っている。中間層は大きく伸びてきているものの、カーストの下位の方々には社会参加の機会そのものが制限されているのが実情という。とはいうものの、最近の若い人の中には自分のカーストを知らない人、ヒンドゥー教でない人もいる。

現にこの社会で暮らしている人々にとっては、ケアや医療以前にさまざまな社会課題があり、これらを課題と捉える価値観、つまり私たちが課題と思うポイントそのものが、本人たちの価値観とは少し違うような気がした。彼ら貧困層の優先順位としては、栄養・衛生・教育と推察される。バラックに住んでいる人も多く、在宅介護などの議論できる状況ではないのが現実かもしれない。大都市部では最低限の医療やケアは福祉やチャリティにより提供されているが、地方はさらに厳しいようだ。

一方で、だからこそ、の合理的な運用もある。例えばワクチン接種に関する考え方だ。インドではワクチンは薬局で販売されており、自分で購入すれば病院で無料での摂取が可能だ。しかしカーストにより接種率がかなり異なり、HIVの感染拡大も問題になっていると聞く。

カーストなど複雑な社会構造がこれらの問題の解決を困難にしているとともに、独特の支援体制の構築を可能にしてもいる。
国ごとに事情が大きく異なる。しかし、ここにおいても、日本の経験が役に立てること、そして日本が学べることが多くある。


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医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長
1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。