ケアとPR②:公共を治療する

西智弘
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昨日、人生会議ポスター炎上問題で上記の記事を書いた。
本日昼に補足する連ツイをしたら意外と長くなったので、noteにまとめておこうと思った次第だ。

抗がん剤との比較で「公共の治療」を考えてみる

僕は医者だから、すっごい医者っぽい発想で物事を見てしまうんだけど、ケアとPRという文脈で「公共を治療する」と考えて、広告もその一手法と思うなら、「誰が対象か」「どのくらいの効果が見込めるか」「副作用はどの程度か」を考えないとダメだと思う。

これが、資本主義における商品を売るための広告なら別にいいと思う。「モノを売る」が目的なんだから、広告手法に多少の批判があったとしても結果的にモノが売れたなら成功でしょう。でも「ケアとPR」ってそういう世界じゃないんじゃない?っていう。

その意味で献血ポスターの件と人生会議ポスターの件を同列に扱うのも違うように思う。献血ポスターの対象と目的、そして公開の範囲とその被害の程度を考えれば、どちらも人を傷つけるといっても人生会議ポスターとは全然違うということがわかるだろう。

僕が扱っている抗がん剤だって、人を傷つける道具。でも「誰が対象か」「どのくらいの効果が見込めるか」「副作用はどの程度か」を考えているから使える。効果が強いからといって、副作用を無視して投与すれば、確かにがんは小さくなるが、患者は生活できなくなる。「公共を治療する」のも同じことではないかなあ。

だからといって、「今後は無難な表現や啓発をしておきましょう」という話でもない。だって、人生会議を知ってもらうことは大切なんでしょ。公共を治療することが目的なんでしょ。だったら、「がん放置療法」みたいに、何もしないのがいいよね、って話にならないことはわかるはず。

抗がん剤の例を続けると、僕らはその患者集団が耐えられるだろう最大の投与量を計り、安全かつ最大の効果を出せるように研究している。公共を治療するときも、その最大効果と安全性の両立をエビデンスをもって示せばいい。危ないから抗がん剤はしない、のではないと同じ話だ。

今回の件で「結果的に人生会議という言葉が広がったからよかったのでは」という意見は慎重に考えたい。良かったかどうかは今後次第、と私は考える。短期的には広まった。でも今後人生会議が語られる際に「あの炎上した」という枕詞が付く可能性はある。それがどうアウトカムに影響していくか。

僕は、厚労省だけではなく医療関係者がこれまでほとんど手を付けてこなかった「ケアとPR」という分野をきちんと考えるべき時にあるんだと思っている。良いことばかりではない、負の情報もシェアしていかないとならなくなった時代に、僕たちはそれをどうやって届けるのがいいのか、資本主義的な手法を参考にしつつ、独自に考察を続けるときなのだと思う。

 

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川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科

2005年北海道大学卒。家庭医療専門医を志し、室蘭日鋼記念病院で初期研修後、緩和ケアに魅了され緩和ケア・腫瘍内科医に転向。川崎市立井田病院、栃木県立がんセンター腫瘍内科を経て、2012年から現職。一般社団法人プラスケアを立ち上げ「暮らしの保健室」の実践や、社会的処方の実践論を研究する「社会的処方研究所」の開始など、病気になっても安心して暮らせるコミュニティを作るために活動している。

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